鄭明析牧師とのスポーツ
鄭明析(チョンミョンソク)牧師との野球 vol.1

鄭明析(チョンミョンソク)牧師との野球 vol.1

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2018年の初夏。
私は鄭明析牧師(以下、先生)と共に野球をすることができた。

その日、私は明け方から勝負服であるユニフォームに着替え、先生の故郷・月明洞(ウォルミョンドン)に向かった。
まだ日が昇る前に月明洞に到着した。

先生はジョギングをするために家から出て来られた。
ジョギングをしながら様々に運動場の周辺を省み始められた。
1周を走り終えられたところで運動場の状態を見て「これでは足首などをけがしてしまう」とおっしゃった。
そこから運動場を平らにする作業が始まった。
私は作業をしながら先生の意図を最大限くみ取ろうと努力した。
正直、気を付けながら走ればそれほど大怪我に至るような状態ではないのではないかと思った。
しかし、私の考えは実に浅はかなものだった。

<ルカによる福音書9章25節>
人が全世界をもうけても、自分自身を失いまたは損したら、なんの得になろうか。

先生は天下を与えても代えることのできない貴重な身体・命に害が及ぶことに対しては徹底的に対処なさる。
さらに先生は野球をすることまで見通され、運動場を平らにする作業を開始したことを悟った。

野球をする場合、グランド整備に多くの神経を使う。
少しの凹凸(おうとつ)がイレギュラーバウンドを生むからだ。
さらには小さな石が一つが致命的なエラーを引き起こす可能性もある。
小さな石に当たったボールは不規則に変化し、指や顔に当たる…

そう悟ってからは死にもの狂いで運動場を平らにした。

その日、先生はとても忙しくされていた。
運動場を平らにする作業は私たちに任されて、先生は他の作業に取り掛かられた。
午前10時半を回ったころ、私たちはようやく野球をするための準備に取り掛かった。
ラインを引き、簡易ネットを設置した。
散水もしっかりして、いよいよ準備が整った。

その日の月明洞は真夏のような強い日射しが照りつけていた。

簡単な食事を済ませた直後、
先生は「野球を始めなさい」とおっしゃってくださった。
いよいよその時が来たかと思い、私たちは急いでキャッチボールを始めた。
先生は遠くから望遠鏡でご覧になりながら「こんなに暑いのによくやるなー」と労いの言葉をかけてくださった。

その日、先生は本当に忙しかった。
野球をご覧になってはくださったものの、共に野球をする時間はなかった…
先生は運動場に残っている岩すべてを神様の構想の通りに置く作業に没頭された…
日は西の山に沈み、ナイター照明がつけられたが、それでも作業の手が止まることはなかった…
私たちは野球を中断し、作業を共に手伝った…

作業が終わったのはなんと夜の9時半だった…

先生は明け方から働いて疲労困憊…のはず…

だが、先生は、その時間から野球バットを握った。
黄金色の金属バットを手にすると、ティースタンドを使ってロングティーを始められた。
私たちは急いで守備についた。
いつも練習しているかのごとく、非常にテンポよく打つ先生の姿に瞬間守備することを忘れてしまった。
そんな私を見てか「いつもボールが自分のところに来ると思っていなさい」と守備についてコーチをしてくださった。

私はサードの位置で守っていたのだが、ボールが全く飛んで来ない…
よくよく先生のスイングを観察してみると、きれいなインサイドアウトのスイングだった!
打球はほぼセンターへ飛んでいた!!
野球経験はほとんどない先生…
しかし、右手でこねることなく打っていたことに驚きを隠せなかった。

先生は70球ほどスイングされた。
打ちながら「若干アッパースイング気味で打つと良い」とコーチもしてくださった。

初めて先生と共に野球をしたのに、
まるでいつも指導を仰いでいる監督よりももっと近い感覚を受けた…

先生は私にも打ってみなさいとおっしゃってくださった。
ガチガチに力が入ってしまい、最初の3球は全く飛ばなかった。
最後の1球、私は心を空けて「선생님 사랑합니다」と叫びながらフルスイングした。
すると、裏山の前からアプ山の方まで自分でも驚くほどに飛距離が出た!
その瞬間、「愛は神様に届く」と悟った。

<コリント人への第一の手紙16章14節>
いっさいのことを、をもって行いなさい。

そのあと、先生はピッチングを披露してくださった。
特注の白色のグローブを先生にお渡ししたが、先生の手は作業で腫れあがり、グローブに入らなかった…

(先生は作業によって手に力も入らず、肩も痛かった状態だったということを後日知った…)

先生はボールを握り、10メートルほど先のキャッチャーめがけて10球ほど投げられた。
驚くほどコントロールが良かった。
さらに先生のフォームはシンプルで、左手は相手に真っ直ぐ伸ばし、右手は耳のすぐ横に、右肘は肩のラインまで上げた状態から一気に前に振り下ろすフォームだった。
野球を全くしたことのない初心者に対してこのようなフォームで投げるようにコーチするのだが、不思議にも先生はそのフォームで投げていた。

その後、私がピッチングする姿を先生は見てくださった。
現役時代の試合でも味わったことのないほどの観客の中でのピッチングだった。
このピッチングは、私にとって深い意味があった…

現役時代、私はチームの中でバッティングピッチャーを務めることが多かった。
誰に言われたわけではない。
度が過ぎるほどにチームファースト、自分を犠牲にしてチームに尽くしてきた。

<マタイによる福音書6章3~4節>
あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。
それは、あなたのする施しが隠れているためである。
すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。

そんな過去の全てを神様はご覧になっていて、この瞬間に報いてくださったのだったと悟った。
先生が私の過去をご存じでそのようにスポットライトを当てるようにしてくださるだろうか?
神様がすべてをご存じで先生を通して演出してくださったことに本当に感謝した。

そのあとさらに先生はサッカーも共にしてくださった…
そして御言葉も…

先生と共にした時間は本当に天国のようだった。
こんなにも喜んで野球をしたのは野球を始めて以来初めてだった。

全てが終わった時には日付が変わっていた…
最後にサインをくださったのだが、その日付が日をまたいで行われたという証となっている。

(そして、先生は次の日の明け方に壇上で御言葉を伝えられている…)

 

なぜ先生はこんなにも夜遅くまで野球を共にしてくださったのだろうか?
先生は野球が好きだからだろうか?
いくら野球が好きな人でも明け方から夜遅くまで働いた後に野球をしようなどと絶対に考えないと思う…

先生は神様の身体になって、神様が愛するように私たちのことを愛してくださるから、
野球も含めてこのような全てのことを行なってくださった。
先生と共にし、先生の行ないを深く見るならば、先生を通して神様が生きて働かれていることが見える。
2000年前にイエス様の行なわれることを見てその中に神様を見たように。

<ヨハネによる福音書14章8~11節>
ピリポはイエスに言った、
「主よ、わたしたちに父を示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」。
イエスは彼に言われた、
「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。
わたしを見た者は、父を見たのである。
どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。
わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。
わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。
父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。
わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。
もしそれが信じられないならば、わざそのものによって信じなさい。

先生はおっしゃったことを必ず成し遂げる。
2019年の夏、ある高校球児が制球難に苦しんでいた。
先生は「意識するな」と彼にアドバイスを送って制球難を抜け出すことができるようにコーチをしてくださった。

その後、先生は、私に「かぶっている野球帽子を脱ぎなさい」とおっしゃった。
そして野球帽子でバスケットのゴールのようにしてボールポケットを作った。
先生は動かすなとおっしゃりながら、ボールを手に取り、野球帽子をめがけて投げた。
先生と私との距離は6~7mくらいあり、先生の周りにはたくさんの群衆が押し寄せていた。
そんな中で先生は一度で完璧にボールを帽子の中に投げ入れたのだった!
(私は全く手を動かしていない)

一瞬、何が起こったのかよく分からなかった。
先生は「意識するな」とおっしゃったことを目の前で体現されたのだった!

普通の人間ならば多くの群衆の中で意識せずに何かを一度でやり遂げることは極めて難しい。
一芸をやり遂げるプロたちは毎日毎日そのことだけを何時間も練習してようやく成功させるが、
先生は人並外れた感覚でいとも簡単にやり遂げてしまった。
私はこれを見て、「神を示してほしい」と言うことはできなくなった。

(LDK)

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