キリスト教福音宣教会のスポーツとは?
スポーツも芸術だ。
この天の一声を聞いて以来、チョンミョンソク牧師はスポーツを通して神様に栄光を帰し続けてきた。
そしてサッカーを中心にしてスポーツを通じて世界を平和にしようと走り続けてきた。
キリスト教福音宣教会のスポーツでは、スポーツをすること自体が最終の目的ではない。
スポーツを最高に楽しみながら、スポーツを通して人生についての学びを得るのだ。
スポーツを通じてチョンミョンソク牧師は何らかのメッセージ(御言葉)を伝えてくださる。
なぜスポーツをするのか?
運動する覇気を見て摂理史(歴史)をそのように走りなさいということです。
運動をすることだけを見つめ、自分がする運動だけを学ぼうとしないで、
主のように覇気と力があり、知恵深く、賢明に、果敢に、大胆にしよう!という意味でスポーツをするんです。
(20190210主日礼拝の御言葉の後で)
すべて摂理(歴史)もこのように走れと
運動する時も見せて
生活する時も見せて
生活を感じるようにしてあげている
(20190116名曲の経緯)
例えば、バレーボールをしながら、
「ジャンプはタイミングだ。タイミングは他の言葉で『時』だ。『時』に従って正確に動くことだ。」とコーチしてくださった。
(『時』は時間とも言えるし、機会とも言えるし、時代とも言える。)
また、あえて狭い隙を見つけてそこにボールを落として得点をあげながら、
「スリルあるように、胸がすっきりするようにしなさい。」とコーチしてくださった。
(私個人的にはこのコーチがとても良くて、マンネリ化しがちな日常生活にスリルを、楽しみを見出せるようになった。)
そういったコーチの一つひとつが、スポーツ活動だけではなく、自分の実生活に結びついていく。
これがキリスト教福音宣教会のスポーツの真骨頂だと自負する。
「勝利」という二文字に向かい、命を懸けてスポーツに取り組む人たちは多い。
血のにじむ努力から生まれるパフォーマンスは人々の心を虜にする。
最高のパフォーマンスを追及しながらもう一歩先の領域まで突き進めてみてほしい。
スポーツという営みが自分の人生にとって一体何なのか?とスポーツの意味を問い詰めてみてほしい。
その問いの答えを“キリスト教福音宣教会のスポーツ”に求めるならば、必ず得られると確信する。