はじめに

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「野球のための人生ではない。人生のための野球だ。」とは言われたが、、、

私は小学校4年生から大学4年生までの約14年間、野球をしてきました。

「14年間野球をしてきた。」と“ヒトコト”で言うのは簡単ですが、実際に14年を野球に費やして経験してきた労苦は“ヒトコト”では語り切れません。

文字通り、雨風・雪の中でも野球をしてきました。

 

野球の指導者からは「野球のための人生ではない。人生のための野球だ。」と教えられました。

しかし、実際のところは人生の中で“野球”のことしか考えることはできませんでした。

 

 

野球選手としての人生の終わり

大学4年生の時に転機が訪れました。

試合でミスをして自分の実力に限界を感じたことと、大学院への進学の勧めを受けたタイミングが重なり、野球選手としての人生にピリオドを打つことを決心しました。

 

引退後は図書館に朝から晩までこもり、大学院入試のための勉強に没頭しました。

そして希望の大学院入試で見事合格を勝ち取りました。

大学院に進学して新たな人生を切り開けるという希望は、野球選手として大成できなかった自分自身の慰めには十分でした。

(根本の人生の問題は解決できていないのに…)

 

 

「お前は何がしたいんや?」

野球のための人生と決別し、胸を張って大学院に入学しました。

しかし、大学院での研究活動は苦痛でしかありませんでした。

私の担当教授は、研究内容を吟味する度に、このような問いかけをしてきました。

「あなたは“何”がしたいの?」

この問いかけは“研究内容”に対することではあったのですが、私の“人生”に対する問いかけとして受け取れました。

 

自問自答の日々でした。

(俺は本当に“何”をしたいのか?)

何をするときにも考えました。

自分が好きなことをする時にも考えました。

(俺は本当に“何”をしたいのか?)

頭が割れそうでした。

 

 

摂理との出会い 

いつも“答え”は出ませんでした。

「本当にそうしたいのか?」と言われたら、別にそうしなくてもいいと思い、自分が“本当に求めるもの”とは何だろうか?と分からなくなってしまいました。

「したいことは何もない、じゃあ…」という結論が出てもおかしくない状況だったと思います。

 

そんな中、摂理に出会いました。

 「水を得た魚」

当時の私の状況を表現する言葉としては、これに勝るものはないでしょう!

自分が求めていた“モノ”、すなわち“人生の答え”を得たときの喜びは一際でした!!

 

「運命は決まっているのか?」
「人間は生まれて死ぬけれども、一体なんのために生きるのか?」
「死んだらどうなるのか?」

すべての人生の問題の答えが摂理にはあったのです!

鄭明析先生が青春すべてをかけて解かれた聖書の御言葉がその答えでした!!

 

 

自分の個性

「自分の個性を発揮して生きていきたい」

これも私が願っていたことの一つでした。

「自分の個性とは何か?」
「自分は何をするときに一番輝くのか?」

鄭明析先生から教えていただいた聖書の御言葉を学ぶ中で出てきた答えは「スポーツ」でした。

14年の歳月を費やした野球を活かすことができるように、
スポーツを通して学んだことを人生に活かすことができるようにコーチしてくださいました。

つまり、野球のための人生を人生のための野球に転換してくださったのです!

 

 

『摂理のスポーツ』の立ち上げ

その表現の場として『摂理のスポーツ』を立ち上げました。

 

日夜、各種スポーツに打ち込む人たちが多くいます。

しかし、私が陥っていたように、スポーツという活動そのものが人生の根本になっている人が大半なのではないでしょうか?

 

「スポーツとはそもそも何なのか?」

鄭明析先生は「スポーツは神様に栄光を帰する芸術だ」と教えてくださいました。

これからのスポーツの在り方がこの一言に集約されています。

 

『摂理のスポーツ』では私が学んだ限りを尽くして、鄭明析先生のコーチも紹介しながら、スポーツについて、人生について、さらには神様についてお伝えしていきたいと思います。

また、このブログを通して「摂理(宗教)」について正しく知っていただけたら嬉しいです。
(「摂理(宗教)」に対する様々な声がありますが、真の姿が伝わるように努めていきます。)

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