野球

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「野球は精神のスポーツだ。」

こう表現されたのはチョンミョンソク牧師です。

野球をする際にはもの凄い集中力を要します。
プロ野球の世界では、およそ18m先から投じられるボールが時速150kmを超え、ホームに到達する時間は0.5秒以下となります。
バットを振り抜く時間は0.2秒を要するため、打とうか止めようか判断することを0.3秒以下で強いられることになります。
さらに変化球も交えてボールが投じられるとなると、一体どうやってバッターはボールを打っているのだろうかと不思議に思えてきます。
野球は3割打れてば好打者と称えられる理由がここにあるのですが、正直私は10回に1回(1割)打てるだけでも十分ではないかと思ってしまうほどです。

「精神一統」
チョンミョンソク牧師は絶えずこの4字熟語で集中力を高めるようにコーチしてくださいます。
どれほど気を引き締めるかによって自身のパフォーマンスが変化することは誰もが経験することだとは思いますが、野球というスポーツほどにこの「精神一統」というコーチが重要視されるスポーツはないのではないかと思います。

「神様のくださった野球芸術は、地球村にある人類の芸術の中でも素晴らしい芸術運動だ。」

野球をしながら’神業’という言葉や’神がかっている’という表現を聞いたことがあると思います。
「神」という存在をよく知らない人たちも、人間離れした(?)プレーが出た時にはそのように表現しているのですが、コンマ何秒の世界で繰り広げられるプレー一つひとつは「地球上にある芸術の中でも’素晴らしい’芸術」と形容し表現するに値するものだと私も思います。

また、「グラウンドは神様に栄光を帰す舞台だ。」とチョンミョンソク牧師は教えてくださいました。
野球は芸術、グランドは舞台だと表現できるということです。
舞台に立つためには衣装を整えなければなりません。
観衆がいてもいなくてもかっこよくユニフォームを着て全力プレーするのが野球芸術家たちの使命だと考えます。

キリスト教福音宣教会の野球を観戦してみれば分かるのですが、天に向けて思い切ってプレーをする姿は、高校球児たちが白球を追いかける姿以上のモノがあると私は思います。

「みんな、自分だけの楽しみにするのではなく、共に全ての人たちも一緒に楽しめるようにしよう。」

チョンミョンソク牧師は野球の行事をする際にはこの言葉を伝えなさいとおっしゃってくださいました。
野球というスポーツは団体競技です。
各個人が打席に立って打つ機会は1試合に3~4回ほどしかありません。
また、ピッチャー・キャッチャーを除くと守備機会は多くても5~6回ほどで、ポジションによっては全くボールが飛んで来ない試合もあります。
そう考えると正直、参加する人達の中にはピッチャー・キャッチャーと自分を比較しながら’つまらない’と言い出す人が出てくる可能性が高いでしょう。

ここで重要なことは、チョンミョンソク牧師の言葉の通り、参加する人みんなが楽しめるようにすることです!

キリスト教福音宣教会の野球では、ピッチャーにイニング制限を設けてやることがあります。
多くの人がピッチャーをする機会を与えるためです。
また、野球未経験者が多い場合はソフトボールのスローピッチルール(ボールを山なりに投げないといけないルール)を適用するようにしています。
未経験者にとっても山なりのボールであれば打つことができます。
また、打ちやすいということは打球がたくさん前に飛ぶようになり、守備をする機会も増えます。
初めて来た人も歓迎しながらその場に来たみんなが楽しむことができる工夫をしています。
(もしその場に来た人が1人だとしても気分を害して途中で帰ってしまうのであれば、開催しない方が良かったと言っても過言ではないと私個人的には思っています。)

そのようにしてキリスト教福音宣教会の野球は、参加する人、見る人、その場に来た全ての人たちが楽しむことができるようにし、神様がくださった’素晴らしい’芸術運動としての本来のあるべき野球の姿を追求しています。