日記

摂理はカルト宗教なのか?

2017年3月14日
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摂理はカルト宗教なのか?

 

宗教というモノに抵抗のある方にとっては、
その宗教がどういうものかにとても気になると思います。

 

今日は「摂理」の実態について書きたいと思います。

 

1.摂理でどのような活動をしているのか

公式サイトに詳しく書いてあるので割愛しますが、
奉仕活動をしたり、スポーツ芸術活動をしたり、礼拝を捧げたりしています。
常識的に考えて反社会的なことはしていません!

リンク:摂理-キリスト教福音宣教会・公式サイト

 

 

2.摂理にはどのような人たちがいるのか
老若男女がいます。
会社に通っている人もいます。
医者として活躍している人もいます。
研究職についている人もいます。
プロスポーツ選手もいます。

 

 

3.摂理ではどのような生活を送っているのか

この写真は、
先日鄭明析牧師の故郷・月明洞に行ったときに展望台で撮影した松の木です。

鄭明析牧師は松の木をとても大切に育てていらっしゃるのですが、
それは松の木を人だと考えているからです。
(松の木の特性が人の特性ととてもよく似ているのですが、このことについてはまた別の機会に)

この写真の松の木ですが、
地面から生えてすぐに2つに分かれているのが分かると思います。
また、真ん中の辺りで2つの太い幹をワイヤーで繋いであるのが見て分かると思います。

この松の木を通して摂理での生活ついて説明したいと思います。

・2本の太い幹
→1本は人間の肉体が存在する活動(食べる・寝る・働くなど)をすること、1本は摂理での活動(奉仕活動、スポーツ芸術活動、礼拝を捧げる、御言葉を行なうことなど)をすること。

・2本のうちのどちらかがなければ、バランスをとることができなくて折れて死んでしまうし、ワイヤーでしっかりとつないでおかなければ風が吹いたときなどに揺れて間が裂けて死んでしまう。
→人は食べて・寝て・働いて、それで一生を過ごして終わる存在なのだろうか?人間が生まれて来た目的は何なのか?その問いに答えて生きなければ動物と何も変わらない一生を過ごして終わるようになってしまう。この人生の目的や意味について知るために、またその人生の目的や意味を成し遂げるために摂理での活動をする。しかし、摂理での活動だけをして、食べず・寝ず・運動せずにいたら人間の肉体が存在できずに死んでしまう。

・2本の幹が作り出すVの字。
→人間の肉体が存在するできるように活動もするし、人生の目的や意味を知って、それを成し遂げるために摂理での活動もする。このように生きてこそ、V=Victory(勝利)の生だと言える!

*人生の目的や意味については、摂理のバイブルスタディーを聞いていただきたい。

 

食べて・寝て・働いて、それだけを行なうだけでも大変です。

しかし、その生活それ自体が目的ではないので、
その中で摂理の活動もするということは、正直、もっと大変です。

でも、その大変さは甲斐ある大変さです。
目的と意味が明確であり、行なった分だけ得るものがあるからです!

 

 

4.カルトという言葉に関して

もともとの意味は「正当な宗教に対する新しい宗教」という位置づけだったが、現在では「極端な(時に危険な、また反社会的な)思想を持った宗教又は団体」という意味で使われる。

宗教とは関係なく、あまりに極端な思想を持った団体でもカルトという単語を用いることがある(例:環境カルト)。

ジャーナリズムの世界では、『反社会的な宗教』という意味で使われるのが一般的。殺人、テロ、暴力を伴う洗脳など、犯罪を犯した宗教などに対して用いられている。

(引用:はてなキーワードより)

 

宗教活動自体を忌み嫌って「極端な思想だ、反社会的だ」と頭ごなし言ってしまえば、
すべての宗教が「“その人にとっては”カルト宗教だ」ということになってしまいますし、
見方によってはどんな宗教も「極端な思想を持った宗教・団体だ」と判断することもできます。

「カルトだ」と判断して、“カルト”いう言葉を使う際にはどのような意味で使っているのかは注意深く見る必要があると思いました。

 

使徒行伝5章34~39節
ところが、国民全体に尊敬されていた律法学者ガマリエルというパリサイ人が、議会で立って、使徒たちをしばらくのあいだ外に出すように要求してから、
一同にむかって言った、「イスラエルの諸君、あの人たちをどう扱うか、よく気をつけるがよい。
先ごろ、チゥダが起って、自分を何か偉い者のように言いふらしたため、彼に従った男の数が、四百人ほどもあったが、結局、彼は殺されてしまい、従った者もみな四散して、全く跡方もなくなっている。
そののち、人口調査の時に、ガリラヤ人ユダが民衆を率いて反乱を起したが、この人も滅び、従った者もみな散らされてしまった。
そこで、この際、諸君に申し上げる。あの人たちから手を引いて、そのなすままにしておきなさい。その企てや、しわざが、人間から出たものなら、自滅するだろう。
しかし、もし神から出たものなら、あの人たちを滅ぼすことはできまい。まかり違えば、諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」。そこで彼らはその勧告にしたがい、

 

自分自身の考えと判断で実は正しいものをそうではないと断定して滅ぼそうとまでしてしまっていないのかを点検することが大切です。

 

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5.終わりに

摂理はカルト宗教なのかについて書いてきましたが、
結局数百数万の言葉よりも行ないがもっと力があります。

摂理で伝えられる御言葉を聞いて行なってみてください。
「実践」でもって確かめてみてください。
摂理は本当に人々が考え想像するような「カルト宗教」なのかを。

 

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